<1> 落ちこぼれコンサルタントが子供英会話教室で独立?!

 実は、私の英語コミュニケーションに対する考え方は、雪の長岡(新潟県)、中学生の頃の英語経験を引きずっているような気がします。でも、この物語は先ず、私がキティ子供英会話教室を始める少し前、まだサラリーマンだった頃から始まります。

プロローグ

 「あ~また月曜日だ。いやだなぁ… 相変わらずつまんねー仕事の続きで一週間… 田舎の工業団地じゃ何にもないし、出向先じゃ友達も出来ないし… 疲れた… いつまで続くんだろ、こんな仕事… どうなっちゃうのかなぁ、オレの人生…」

 少しでも長く東京に居たい為に使った米原・京都行きの夜行列車の中です。私は、見えない不安にほとんど毎週さいなまれていました。上司でもあるチーフコンサルタントに言われた生産管理ハンドブックも全く頭に入らないし… サラリーマンには違いないのですが、コンサルタントというのは、ある種の師弟制度になっているのです。28歳の私は、チーフに馬鹿にされながら、たばこを買いに行かされたり、まあ、かばん持ちみたいな事をしていたのですね。

 東京には2歳になったばかりの娘がいました。たまに来るチーフのために単身赴任、出向先の社員とプロジェクトを組んで、作業を進めるのが表向きの仕事です。しかし、正直、チーフとはちっとも馬が合いませんでした。憎んでいたといってもいいでしょう。手柄は全てチーフのもの。チーフがいかに偉いかを示すために、出向先の社員の前で馬鹿にされるのが落ちこぼれコンサルタントの本当の仕事だったのかも知れません。その証拠に、線の引き方、表の作り方以外には何も教えてはくれませんでした。(と、当時は思っていました。今思うと、生意気なだけの最も使えないヤツの典型でした・・・)

 翌年、いつものようにボーっとして、出向先(上場企業)の工場にいくと、そこは異様な雰囲気になっていたのです。門には有刺鉄線が張られ、制服を着たガードマンと警察犬のようなシェパードが2匹いました。つまり、出向先が倒産して保全措置が取られたという事だったのですね。

 私は東京に戻され、小さな仕事をいくつかしていましたが、例のチーフコンサルタントから逃げる事は出来ませんでした。その上、仕事自体がほとんどなくなってきて、内勤の留守番が多くなってしまいました。こうなると最悪です。小さな部屋で、チーフと顔を合わせる時間が長くなり、チクチクといやみを聞かされるのです。

 ある時、チーフがスポンサーの社長の英語の発音が可笑しくて、と大笑いするのです。英語らしい発音をしようとするのが、かえって可笑しくてたまらない、というような内容でした。この時、私の中で何かがはじけました。高校の時、理解不能な英文法を強引に振り回す高齢の教師がいました。その教師とチーフが、なぜかダブったのです。

 自信はないけど、脱サラしよう。本当に話せるための英会話教室を作ろう。と、決心しました。娘も、もうすぐ3歳になる!

 この時はまだ、自分が何をしようとしているのか、何が出来るのかなんて、全く考えていなかったのかもしれません。ただ、逃げ出したかったのかも知れないし、言いようのない矛盾に怒りをぶつけていただけなのかも知れません。


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<2> 夢もやる気もいっぱいありますか?

 その頃は学校でも塾でも、教室というと味気ないモノトーンのイメージしかなかったと思います。私はそれを壊したかったのですが、なにしろお金はないし、インテリアなどのセンスがあるわけでもありません。ただ、何でもかんでも自分でやるしかありませんでした。幸いにして、自宅(現在もある等々力教室)があったので可能だったのです。

 とりあえず、古い木造の建物の障子やふすまを取り払って、部屋と廊下をつなげて少し広い教室にしました。ベニアなどを買って、床や壁も補修しました。教室の片側は、下まで木枠のガラス戸でした。子ども(生徒)が突っ込んでガラスを割って怪我をしないかと心配になったので、部屋の内側に木の柵をこしらえました。手は血豆だらけ、血豆の上からさらに金槌で指を叩いて、それでも何かに取り付かれたように休みもしませんでした。出来上がってみると、柵があっても、子どもが横になって突っ込んだら役に立たない事に気付きました。心配で何枚もガラスにシールを張りました。

 トタン(ブリキの板です)を買って、木の枠をつけて看板も作りました。色々な色のペンキを買って絵も描きました。材木屋さん、金物屋さん、日曜大工センターのようなところを何往復したか分かりません。とにかく、1ヶ月ほどの間、不眠不休で夢の教室作りに没頭しました。気がついてみると、収入もないまま、無いお金がさらに厳しい状況になっていました。それなのに、出来た教室は素人の手作り。なんともちぐはぐな感じの教室だったと思います。

 教室改造作業の合間には、カリキュラムを考えました。まず、教室の方針から決めていきました。「1.中学校でやったThis is a pen.じゃ英語は話せるようにならない。キティクラブは、子どもと英語と遊びの広場にする。2.頭で考えるのではなくて、身体で英語を感じて身に付ける教室にする…」なんていう感じです。次に、レッスンのプログラムも細かく立てていきました。遊んでるうちに英会話がうまくなるようじゃないと、私の考える理想の教室にはならなかったからです。

 おおよそ準備が出来たところで、外国人の教師を採用しました。教師は採用できましたが、生徒がいません。あまり社交性のない私は、妻に頼んで近所の子どもたちを招待してもらいました。私の作ったプログラムでレッスンの練習を行ったのです。

 ところで、キティクラブの教師は外国人でなければなりませんでした。理由は、英会話の目的が勉強ではなくて、コミュニケーションにあるという事実を見失わないためです。それに、子どもは意味のない勉強が嫌いなはずです。勉強嫌いな子どもでも英語を話せるようになるには、子ども自身に話したいと強く思ってもらうのが一番です。そのためにも外国人教師は絶対だったのです。

 偶然ですが、初めてのキティクラブの外国人教師は、とても綺麗な女性でした。これは何も、私の個人的な趣味ではありません。しかし、結果として綺麗な先生は子どもたちに大人気で、目を輝かせて英語に興味を持ってくれました。

 ところがある日、突然電話がかかってきました。外国人教師のご主人からです。「妻が、あなたから信用されていないようだ、と言っているんです。いつも監視されているとも…」というような内容でした。実は私にしてみれば、私の考えたプログラムがうまく機能するかどうかが心配でした。レッスンを待合室から分厚いカーテン越しに見ていたのですが、それを誤解されたようでした。ただでさえ難しい人間関係の問題が外国人の間に起こると、それはもう、そそり立つ壁に行く手をさえぎられたように感じられました。なんとか誤解を解いてはもらえましたが、私もしばらくは落ち込んでしまいました。

 さて、そんな事もありましたが、その後も先生には週2回ほど来てもらいました。練習ではない、本当の生徒の募集をしなくてはなりません。


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<3> 考える事と実行する事、どれほど違いがありますか?

 生徒募集のチラシを作りました。一軒一軒ポストに配るためです。初めは簡単に考えていました。けれども、実際にやってみると、意外に配れないのです。気合を入れてたくさんのチラシを抱えて出かけたものの、いくら配っても減りません。重くて後悔しても、そう簡単には帰れませんから、食事もしないで配りました。肩も足もがくがくです。たくさん配れると喜んで入ったマンションでは、管理人さんにチラシをポストに入れないようにと叱られもします。変なチラシじゃありませんからと、許可してもらえる事もありましたが、絶対ダメな事もありました。途中で雨が降り出して、ずふ濡れになった事もあります。

 チラシではあまりかわいくありません。綺麗な色画用紙を切った小さなカードに、プリントゴッコで印刷したものをポストに配った事もあります。レッスンのない日は、教室一面がプリントゴッコの印刷の山(乾かす必要があるのです)になりました。

 ある時、ポストに案内を配っていると、庭で何かをしている女の人と目が会いました。私はすかさず声をかけ、子ども英会話教室をオープンした事、案内を配っているので見て欲しい、というようなことを言いました。庭先には、子どもの乗る三輪車があったので、もしかしたら教室に入会してくれるのではないかと思ったのです。しかし、お母さんらしき方は、私を一瞥して「ポストに入れておいて」と言ったきり、二度とこちらを見てはくれませんでした。

 考えてみたら、当たり前の事ですよね。どこの誰だかわからない人をいちいち相手にする方がおかしい。けれども、その時にはそんな事も分からなかったんですね。本当に、誰も入会してくれないのではないだろうか? と、眠れなくなりました。

 新聞の折込も入れる事にしました。手で配ったら大変な量を一気に配布できますから、わくわくしました。一色刷りのたわいもないチラシでしたが、知り合いにも見てもらい、ちょっと自信もありました。

 折込された日は、文字通り電話の前で朝から問い合わせ電話を待っていました。しかし、電話が来ません。どうしたんだろう? 不安で気が変になりそうでした。本当に折り込みされているのだろうか? 自分の家の新聞には入っていた。それでも、知り合いに入っていたか確かめた。確かに入っていた。でも、電話は来ない…

 お昼近くになって、初めての電話が鳴りました。問い合わせの電話です。ドキドキして、電話の向こう側のお母さんに心臓の音を聞かれてしまうかと心配になりながら応答しました。「キティクラブでございます。」「月謝はおいくらなんですか?」「はい、いくらいくらになっています…」「じゃ、検討します…」「あの…」「ガチャン… ツーツーツー」「…」

 頭の中が真っ白になるとは、こんな時の事を言うのでしょうか。しばらく、何も考えられませんでした。月謝が高かったのかなぁ… それとも、応対がいけなかったのかなぁ…

 事実、当時の一般的な子どもの習い事としては、やや高めの月謝設定だったと思います。しかし、外国人教師の時給には相場があって、一般的なパートタイマーの時給の4倍前後なのです。ですから、その意味では良心的なつもりだったのです。しかし、そんな事は家計を預かるお母さんにとって関係のない事だったかも知れません。

 何回かそんな事を繰り返しましたが、初めて練習レッスンを始めてから1ヶ月後くらいには、14名の生徒が集まりました。その時、何の実績もないキティクラブに入会していただいた生徒とお母様方の顔は忘れられません。

 こうして、キティクラブは最初の危機を乗り越えたかのように見えたのです。


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<4> 英会話教室の代表、今日はバイトに出かけたの?

 チラシ配りや新聞折込のほかに、DM(ダイレクトメールはがき)も出しました。家族でプリントゴッコや宛名書きは連日の夜なべ仕事になりました。3歳の娘が何百枚も広げたはがきを一生懸命にずらして、スペースを作ってくれたけなげな姿も目に焼きついています。

 カリキュラムも順調に改善され、教師もキティのレッスンや教材に慣れてきました。私の考えている意図も、少しずつ理解してくれるようになりました。

 事業を起業する時には、周りの人々の理解があるとないのとでは、大きな違いがあります。いままで味方だと思っていた人が敵に見える事もありました。かと思えば、特別親しくもないはずの人から涙が出るほど力強い言葉をかけてもらった事もあります。とりわけ、肉親の影響は大きいです。いざと言うときに人の本性が見えるといいますが、経験の少ない私にとっては、心に痛みの残る辛い事もありました。

 しかし、捨てる神あれば拾う神ありと言ってはバチがあたるでしょうか。妻は、「私はサラリーマンと結婚したはずなんですけど…」と言いながらも、今日に至るまで、献身的に協力してくれています。どちらかと言うと、学力偏重主義者だと思っていた私の父は理解をしてくれ、支援もしてくれました。

 幸いにして、私を信用してくれた友人の応援もあり、会社(1983年当時は資本金があまりなくても会社設立可能だったので)を設立する事も出来ました。私にとって会社の設立というのは、とりわけ意味のある事でした。私の願いは、英会話教室の運営という形で、子ども達と正面から向き合ってコミュニケーションの本質を考えていく事でした。しかし、それと同時に多くの人々と、新しい子ども英会話の価値観を共有できる事も強く願っていました。ですから、会社の設立には、小さくまとまってしまう事が出来ないように、自分自身の逃げ道をふさぐ意味があったのです。

 設立1年目から2年目にかけては、とにかく何もかも夢中でした。生徒も少しずつではありますが、順調に増えてきました。紹介で入会していただける方も出てきたのは、本当にうれしかったです。30人、40人、50人、と生徒も増え、外国人教師も2~3人になりました。夏には、等々力教室の庭でパーティもしました。キティクラブ通信と言う、手書きのニュースも作りました。キティ独自のカリキュラムも、先を見据えたプログラムへと体系的に整える作業に精力的に取り組みました。

 しかし、表面的には順調に見えたキティクラブも、経営的には次第に行き詰っていたのです。わずかな資本は、教室の開設と広告費で泡のように消えていきます。もうお金を借りるあてもありません。生徒数も60人位になったのをピークにぴたっと止まってしまいました。広告を出すお金ももうありません。それより何より、生活がいよいよぎりぎりになっていました。おかずはもとより、お米さえ自由に買えませんでした。もちろん、事業が順調に軌道に乗るまでは、石にかじりついても頑張る覚悟はありました。しかし、設立の前年に生まれた下の子もいました。妻の気持ちを考えると今でもすまなかったと思います。月謝として入ってくるお金のほとんどは外国人教師の給料に消えていきました。少しでも余ればチラシやコピーの教材を作りました。全てを教室に投入しても足らなかったのです。

 私は初め、家で出来る仕事を始めました。コンサルタント時代にコンピュータを勉強させていただいていたので、パソコン雑誌の記事を書かせてもらう事にしました。しかし、パソコンソフトの評価には大変な時間がかかるのに、原稿料は非常に安いのです。しかも、仕事の量は月によって違います。

 結果として、短期のアルバイトを探しては出かけるようになるまで、そう時間はかかりませんでした。


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<5> コミュニケーションって結局なんだろう?

教室のこともあるのでフルに働く事は出来ません。しかし、そのような条件でも出来るアルバイトには限界があります。フルコミッション(売れなければ1円ももらえない)の営業アルバイトもしました。しかし、あんまり売れませんでした。面白かったのは、「つくば科学博覧会」で、子ども電話相談室の回答者のバイトをした事です。パソコン雑誌のライターをしていた時の編集者が紹介してくれた仕事でした。宇宙とか科学の質問について答えるんです。もちろん、私は専門家じゃないし、自信はありませんでした。でも、テーマは大好きな事だったので、お願いしてやらせてもらいました。子どもの素朴な質問に目を白黒させながらも一生懸命答える仕事は、久しぶりに充実感を感じました。この時、テレビにも出演しました。(但し、ノーギャラです)

教室の隣に定年間近の大学教授のご夫妻がおられまして、向こうからわざわざ声をかけてくれて激励された事もあります。教授は語学の先生ではなかったのですが、有名な英語の先生を紹介していただいたりもしました。今は退官されて引っ越してしまいましたが、お元気でおられるだろうかと、時々思い出します。

いろいろな方が、私を応援してくれましたが、バイトにも限界が見えてきました。

私は、最後に旅行の添乗員の仕事をすることにしました。添乗員と言うと、家を何日も空けなくてはなりません。小さな子どもを2人も抱えている妻に、死に物狂いで作ってきた教室を任せて出かけるのは無責任、自分勝手となじられても言い訳が出来ません。今思うと、それも狂気の沙汰だったのかもしれません。

正直言いますと、経営がぎりぎりでも、どうにかなるだろうと言う気持ちがどこかにあったのだと思います。バリバリの技術・研究畑だった父親のDNAを受け継いでいるのだと思います。経営は危機だと言うのに、子ども英会話のカリキュラムをダイナミックに変えていく事で頭の中はいっぱいだったのです。教室の運営よりも英語圏での仕事が、もうひとつ先の子ども英会話プログラムのヒントを与えてくれるのではないか、と言う可能性にウキウキとさえしていたかも知れません。

ツアー客を航空機やバスで移動させたり、会議をセットしたりするわけですが、驚くほどトラブルが起こります。ツアー客の荷物がなくなる、ホテル客室内の設備のトラブル、ダブルブッキング(予約があるのに席がない、客室がないなど)、数え上げたらきりがありません。迎えに来るはずのバスが時間になっても来ない、なんてことも珍しくはありません。添乗員の仕事は、確認に始まり、確認に終わると言われています。現地で手配されているホテル、航空機、バスなどにしつこいほど事前確認を入れるのです。ところが、相手のバス会社などの対応はとんでもなく雑なのが普通です。まあ、忙しいからでしょうが、バス手配の確認だと電話をしても、どのツアーと確認もせずに「ノープロブレム(問題ない)」と言って電話を切ろうとします。こっちがツアーコードなどを言おうともたもたしていると、切られちゃうんです。バス会社にとって、私はお客さんなんですよ!

そうは言うものの、困るのは私のほうなので、しつこいと嫌われようと何度でも電話します。英語の発音なんて、問題じゃないんです。相手にとにかく、手配表を確認させることが必要なことなんです。必要なのは上手な英語じゃなくて、確固とした意思だという事を身体で覚えました。それが、コミュニケーションだと思います。

私は、添乗の仕事をしているときに電気関連の小さな国際会議に出た事もあります。企業の役員クラスが通訳を通して意見交換をする場合もあれば、技術レベルの担当者がつたない英語で現場の担当者と話し合う場面もありました。いずれの場合も、意思のないコミュニケーションは、たとえ英語が流暢でも、赤面するほど恥ずかしいと思いました。


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<6> 失意の底で見たものはなんですか?

海外添乗員の仕事は想像以上に厳しいものでした。けれども、私はその中で経験した事で、改めて子ども英会話で何をしなくてはならないのか、はっきりと分かりました。それは、英語を使って意思を伝える事、それがコミュニケーションだと言う事です。もっと言えば、コミュニケーションとは、言語に関係なく、感情を共有する事だと気付きました。

しかし、一方で、教室の運営はどんどん悪化していました。いくらレッスンに満足していただいていても、放っておけば引越し、出産、卒業、その他の理由で退会する生徒も出てきます。十分な新規生徒募集が出来ないでバイトをしなくてはならない事のマイナス面が出てきたのです。開設から4年目、1人、2人、と生徒が減っていき、とうとう30数人になっていました。運営を継続できる状況ではなかったのです。

ここまでやってきて、志半ばで子ども英会話教室を断念することは、想像するだけで悲しい事でした。すでに、キティクラブは我が子と同じだったのです。涙が止まらなくなりました。小さな子どもを抱えながら必死に教室を守ってきた妻も、どんな時でもキティを信頼して通い続けてくれた生徒や保護者に申し訳ない、と思っていたようです。しかし、もう運営が継続できない、と一番感じていたのも妻だったに違いありません。

私は悩みました。これだけ一生懸命やってきてダメだったのだから、しょうがない。私には経営なんて、所詮無理だったのだ。精一杯やった結果だから、悔いはないだろう? こんな自問自答ばかりを繰り返していたような気がします。それと同時に、保護者や生徒、それに、これまで応援してくれた人たちになんと言えばいいのかと考えると、ますます暗い気持ちになりました。

そんな時に、信頼していた外国人教師が辞めると言ってきました。しかも、来週からもう来ないと言うのです。文句を言う気もなくなりました。

正直、もうだめだと思いました。もうひとりの教師に無理を言って、何とかクラスはカバーすることが出来ましたが、時間の問題でした。

「これからどうなるんだろう。サラリーマンとして落ちこぼれのコンサルタント… 独立して好きな事をやろうとしたが、経営能力もない… この歳で再就職がきつい事は誰に言われなくても分かっている… オレにはもう、やれる事がない…」いつの間にか、振り出しに戻っている自分に気付きました。しかも、あの寝台夜行列車の中にいた時より、さらに深い闇の中にいる気がしました。決して抜け出せない闇の中に入ってしまった気がしました。

こんなときには、いいことは何一つ起こりません。どうしても要望に応えられないことから、ある生徒の保護者と感情のもつれを引き起こしたり、それがまた、同じクラスの他の保護者に飛び火した事もありました。心はもう、押しつぶされる寸前だったと思います。自分でも分かりません。

とどめは、一通の手紙でした。たいした額ではないのですが、会社設立の発起人になってくれた友人が、出資を回収したいと言い出したのです。友人にしても余程お金に困ったのかもしれませんが、電話だって出来たはずが、なぜ手紙、と思うと悲しくなりました。

何も考えられなくなったとき、私は、考える事をやめました。ただひとつやれなかった事。それは、自宅の教室が軌道に乗ったら、街中に教室を出す事でした。やり残した事がひとつでもあったら、自分の人生がどうなるにせよ、次に進めない自分がはっきりと見えました。考える前に行動していました。恥も、外聞も、見栄も、何もかも忘れて、頭を下げてお金を作りました。馬鹿にされた人にも頭を下げました。経営者なら誰でもするかもしれないことを、私はこの時初めてしたのです。

私は、キティ設立5年目に二子玉川に教室を開きました。


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<7> あなたの本当にしたかった事は何ですか?

今だから言えることですが、最初の教室で断念していたら、まだ傷は浅くて済んだかも知れない、と思っていました。しかし、今度はそれでは済まない予感がしていました。馬鹿な話ですが、本当に命を賭けている気がしました。失敗したら、命を取られるのではないかと、意識の底で感じました。気が狂っていたのかも知れませんね。僅かだけど、生命保険に入ってるから何とかなるだろうなんても思っていたのです。

添乗員をしていた時に知り合ったフリーのデザイナーが、私に力を貸してくれました。しかも、タダでです。

2つの教室を回す必要がありましたから、初めて日本人のパートスタッフを採用しました。2ヶ月先の給料が払える保証がない事は隠していました。

もちろん、オープンした時に教師がいない訳にはいかないので、採用しました。これで2度目ですが、生徒がいないのに教師を採用したのです。

ビルの建築中にテナントを借りましたので、壁紙などの内装は、好みの通りにしてくれました。その他は、建築関係の仕事をしていた幼なじみに大工さんを紹介してもらい、破格値でパーテーション(仕切りの壁)を作ってもらいました。

1987年2月下旬、初めてプロ(といっても友人)の手を借りたカラフルな新聞折込チラシを入れました。デザイナーの彼は、デザインだけでなく、何を訴えたいのか、私の話しをよく聞いてくれて、それを形にしてくれました。

私はこの時、アルバイトを全て辞めていました。チラシ折込の当日、祈るような気持ちで真新しい教室の中にいました。いえ、本当に祈っていたのです。無神論者の私でしたが、神に祈り、目を閉じて、子どものときに亡くした母に語りかけました。なんという、身勝手な人間だったのでしょう。

しかし、いづれにしてもその日は来たのです。電話がなりました。まだ、朝の9時前でした。問い合わせの電話です。スクール案内の資料を送る約束をして、体験日も決め、興奮気味に電話を切りました。そして、また静寂が来ました。少し不安がよぎります。しかし、しばらくすると、また電話が鳴りました。話を終えて、しばらくすると、また電話が鳴ります。次から次に問い合わせの電話が鳴り響き、一日続いたのです。気が付くと、声がかすれていました。心配した妻も電話をしてきましたが、「電話が来るから切るぞ!」と怒鳴って切ってしまいました。

二子玉川教室は、いつの間にかクラスの数が増え、いつの間にか軌道に乗っていました。チラシもどんどん出しました。

教師の給料も、日本人パートスタッフの給料もちゃんと払えました。教室のデコレーションも買えました。私は、高島屋の食料品売り場でおいしいお弁当を見つけ、それを自由に買えることに幸せを感じました。

別の意味で無我夢中になっていました。忙しい事が、これほど楽しいと言う事に初めて気がつきました。レッスンの運営に全力を注ぎました。改めて理想に燃えていたのです。私がやりたかった事はこれだ、と身体で感じていました。

二子玉川教室がオープンして2年後、転機を迎える事件がおきました。小学館のメジャーな婦人月刊誌の取材を受けたのです。今では普通になってしまった感のある、外国人教師による子ども英会話は、キティが先駆者だったのです。それが、いよいよ日の目を浴びた瞬間でした。

不思議な事に、二子玉川教室が成功すると、閉鎖寸前にまで落ち込んでいた等々力教室の生徒まで増え始めたのです。あっという間に以前の60名以上になってしまったのです。


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<8> 子ども英会話はどこに向かっていくのですか?


エピローグ

2つの教室が回るようになったからと言って、決して贅沢が出来るようになったわけではありません。収入が増えた分だけ支出も増えます。2003年、教室は5つに、生徒数も500名になりました。それでも、このことが変わるわけではありません。

しかし、あの頃、私の中で何かが変わった事だけは確かです。次から次へとやりたい事が湧いてきます。カリキュラムも、もっと充実させよう。子どもたちが楽しく通えるようなグッズも作ろう。オリジナルのファイルやバッグも欲しい。出席カードも、ホンモノのパスポートのような形にしたい… 本当に次から次にやりたい事が出てくるのです。

多くのことは、それを実行したからと言って生徒が増えたり、収入が増えるものではないかも知れません。それでも、私の夢を実現するための、大切なひとコマひとコマなのだと思います。妻には、「事業が軌道に乗れば、楽な暮らしをさせてやると言われて、毎年だまされて来たけど、いつ軌道に乗るの? もういい加減だまされないわよ。」などと言われています。それでも、私は思った事をやっていますし、妻も最終的には、それを笑顔で見てくれているように思います。

外国人教師や日本人スタッフが増えてくれば、また、新たな問題が起こります。人との衝突も、誤解も、思いもよらないところから次々と起こります。お金の心配も、額が増えるだけで相変わらずです。もう人を恨むのはよそうと思っている矢先から、裏切られたような気持ちで悩むこともあります。

今は、「世の中で起こること全てが、自分の選択の結果。全て私から生まれた事。全ての責任は自分にある、と考えたときに始めてあなたは自分の人生の主人公になれる…」と言った、セミナーの先生の言葉が素直にそう思えます。

私が迷い、悩みの淵にある時、成功を収めたある起業家のレポートを読んだ事があります。その先生の言葉は、まるで私のためだけに語りかけてくれているように感じました。彼は言います。「あなたの目の前に立ちふさがる困難な問題や障害は、どんなに困難に見えても、あなたに解決できない問題は起こらないのです。神様があなたを成長させるために与えてくれた試練なのです。考えても見てください、中小企業の経営者に中東戦争を解決しろという問題が起きますか? 核ミサイルボタンを押す決断を迫られますか? あなたにちょうどいい問題だけが起こるのです。」その通りだと思いました。

今まで、どれだけ多くの人に助けられて生きてきたのでしょう。そのことを考えたとき、本当に目頭が熱くなります。一生恩返しは出来ないかもしれません。私を助けてくれた人もそれを望んでした事ではないのも分かっています。私は、私が助けられたように、誰かを助けられる人間にならなくてはいけない運命なのだと思います。

私は、たぶん、これからも悩んだり迷ったりしながらも、未熟な自分と戦っていく事と思います。 でも、私は、今ここで取り組んでいることが、いつかは日本の子ども英会話の世界を変えていく事につながっていくと信じています。


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どのくらい話せるようになるのか?

「どのくらい話せるようになるのか?」もっと言うと、「本当に話せるようになるの?(どうも信用できない)」と言ったところが、子供英会話やらせようかどうか迷ってる保護者の方々の正直な気持ちじゃないかな?

(「キティ英会話クラブ」のホームページのQ&Aでも公開しているんだけど、その内容を何回かに分けてお話したいと思います。)

どのくらい話せるようになりますか? (子供英会話の目標について)

 英語が話せると言うと、ペラペラとかバイリンガルと言う言葉が浮かびます。でも、それらは使う人によってかなり差があります。英語の苦手な人から見ると、少し話せるだけでペラペラに聞こえたりします。

 大切なのは、子供英会話の目標をどこにおくかと言うことです。

 英語に少しなれてくれればいい、身の回りのこと、物を英語で言えるようになってほしい、子供らしい簡単な日常英会話ができるようになってほしい、外国人と会話することに慣れて欲しい、外国人の話す簡単な英語が分かるようになってほしい、自分の感じている事、考えを簡単な英語で伝える事ができるようになってほしい、外国人と簡単な議論や意見交換ができるようになってほしい、同年代の外国人と全く変わらないような英会話力を付けたい・・・

 キティ英会話クラブには、このような目的のお友達がたくさんいます。キティクラブのアドバンスクラスでは、「外国人と簡単な議論や意見交換ができるようになってほしい」という目標に応えるレッスンを行っています。もちろん、学習を始める年令や取り組み方によって成果は変わってきます。また、最後の「同年代の外国人と全く変わらないような英会話力を付けたい」と言う目標を達成するには、キティクラブのレギュラークラスだけの力では無理です。全日制のインターナショナルスクールやご家族の全面的なバックアップが必要です。

 では、子供英会話での読み書きについてはどうでしょうか。中学英語の読み書きや文法学習を小学校のうちに学習させておきたいというのが主な目的の場合は、学習塾や日本人講師のスクール、あるいは英検合格を前面に打ち出したスクールの方が適していると考えられます。キティクラブでも日本人講師の読み書きクラスが生徒を強力にサポートしていますが、主に、3年生以上の外国人教師クラスの生徒のためのものです。

 英検についても同じような事がいえます。キティクラブではJAPEC児童英検(4歳から)と文部科学省認定STEP英検(3年生から)で毎年よい成績を収めています。しかし、これらは外国人教師クラスでの英語理解を深めるためと、本人に自信をもってもらうのが目的です。ですから、英検の合格だけを目的とされる場合も、キティクラブは適していないでしょう。

 でも、お子さんの未来、英語の苦手意識を持たずに、胸を張って人生を切り開いていって欲しい。しっかりと英語の会話を学び、外国人にも慣れてほしい。そんな思いのお父さん、お母さんをキティクラブは全力で応援いたします。


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«<8> 子ども英会話はどこに向かっていくのですか?