<1> 落ちこぼれコンサルタントが子供英会話教室で独立?!
実は、私の英語コミュニケーションに対する考え方は、雪の長岡(新潟県)、中学生の頃の英語経験を引きずっているような気がします。でも、この物語は先ず、私がキティ子供英会話教室を始める少し前、まだサラリーマンだった頃から始まります。
プロローグ
「あ~また月曜日だ。いやだなぁ… 相変わらずつまんねー仕事の続きで一週間… 田舎の工業団地じゃ何にもないし、出向先じゃ友達も出来ないし… 疲れた… いつまで続くんだろ、こんな仕事… どうなっちゃうのかなぁ、オレの人生…」
少しでも長く東京に居たい為に使った米原・京都行きの夜行列車の中です。私は、見えない不安にほとんど毎週さいなまれていました。上司でもあるチーフコンサルタントに言われた生産管理ハンドブックも全く頭に入らないし… サラリーマンには違いないのですが、コンサルタントというのは、ある種の師弟制度になっているのです。28歳の私は、チーフに馬鹿にされながら、たばこを買いに行かされたり、まあ、かばん持ちみたいな事をしていたのですね。
東京には2歳になったばかりの娘がいました。たまに来るチーフのために単身赴任、出向先の社員とプロジェクトを組んで、作業を進めるのが表向きの仕事です。しかし、正直、チーフとはちっとも馬が合いませんでした。憎んでいたといってもいいでしょう。手柄は全てチーフのもの。チーフがいかに偉いかを示すために、出向先の社員の前で馬鹿にされるのが落ちこぼれコンサルタントの本当の仕事だったのかも知れません。その証拠に、線の引き方、表の作り方以外には何も教えてはくれませんでした。(と、当時は思っていました。今思うと、生意気なだけの最も使えないヤツの典型でした・・・)
翌年、いつものようにボーっとして、出向先(上場企業)の工場にいくと、そこは異様な雰囲気になっていたのです。門には有刺鉄線が張られ、制服を着たガードマンと警察犬のようなシェパードが2匹いました。つまり、出向先が倒産して保全措置が取られたという事だったのですね。
私は東京に戻され、小さな仕事をいくつかしていましたが、例のチーフコンサルタントから逃げる事は出来ませんでした。その上、仕事自体がほとんどなくなってきて、内勤の留守番が多くなってしまいました。こうなると最悪です。小さな部屋で、チーフと顔を合わせる時間が長くなり、チクチクといやみを聞かされるのです。
ある時、チーフがスポンサーの社長の英語の発音が可笑しくて、と大笑いするのです。英語らしい発音をしようとするのが、かえって可笑しくてたまらない、というような内容でした。この時、私の中で何かがはじけました。高校の時、理解不能な英文法を強引に振り回す高齢の教師がいました。その教師とチーフが、なぜかダブったのです。
自信はないけど、脱サラしよう。本当に話せるための英会話教室を作ろう。と、決心しました。娘も、もうすぐ3歳になる!
この時はまだ、自分が何をしようとしているのか、何が出来るのかなんて、全く考えていなかったのかもしれません。ただ、逃げ出したかったのかも知れないし、言いようのない矛盾に怒りをぶつけていただけなのかも知れません。


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